「信じてる」は「信じてたのに」「裏切られた」の前振りの行為?
・誰かを信じること
・人を信用すること
これらはあたかも
素晴らしいことのように
言われています。
しかし、
実際のところどうでしょうか?
これって本当でしょうか?
いまの時代に
簡単に人を信じてしまうことが
非常に危険なのはあなたも
同じ考えだと思いますし、
さらに言うと、
僕らは人を信じることで
自分に保険をかけることが
できるようになっています。
保険をかける?
しゅうさん、どういうこと?
僕たちは誰かを信じることで
信じてた人に裏切られたときに
自然と自分を被害者にできます。
心当たりはありませんか?
「信じてる」「信頼できる」は
「信じてたのに」「裏切られた」の
前振りの行為になっていませんか?
信じることが
誰かへの依存になっていたり、
責任逃れのための
言い訳になっていませんか?
そもそも
勝手に信用したのはあなたですし、
本来であればその責任は
あなたが全てとるべきです。
「信じる」という行為を
完全に否定するつもりはありませんが、
言葉として
非常に危険だったり、
過剰な意味も持ちすぎる
怖さやズルさがあります。
こういう言い方をすると
冷たく聞こえるかもしれませんが、
僕は基本的に人のことを
信じないようにしています。
「もしこの人が悪い人なら、
100%信じた自分が悪い」
と本気で思えるくらいに
ならないと信用しません。
「人を信用しないなんて心が狭い!」
「常に疑ってばかりいるなんて!」
っていう方もいそうですが、
「信じる」「疑う」の
どちらかに比重を置く必要なんて
そもそもありません。
「信じる」という考えを
生活から無くしたり減らすことで、
過剰な被害者意識から解放されたり、
自分の人生に自分で責任をとる習慣が
身につくかもしれません。
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